佐藤訪米
監督
1969年生まれ、兵庫県出身。15才の時はじめて8mm映画を作る。
89年、8mm短編『West Riverに浮かんだSax奏者の叫び』を監督。フェダインの磔磔ライブで初上映。つづく『錆色の河に沈む太陽の詩人に口無し』(92年/8mm)は、中野武蔵野ホール、名古屋シネマテーク、シネ・ヌーヴォ梅田などで上映される。
その後、福居ショウジン監督、日活出身の鴨田好史監督の助監督を務める。ふたたび監督した『なまにえの鬼の都や渋さ知らズ』(94年/8mm)は、93年の渋さ知らズオーケストラ初の関西ツアーを追った実録ライブ映画。また、松井良彦監督とチームを組み、太秦の撮影所スタッフらと自主製作した監督作品・16mm劇映画『京極真珠』は97年全国劇場公開。音楽は不破大輔。99年にかけて上映ツアーとアンコール上映を継続した。
2000年、京都祇園で「中華そば みみお」創業。17年より映画、音楽、演劇等の複合企画「勝手にみみロック・フェスティバル」をプロデュース。現在、本作の姉妹編となる実録ライブ映画『続・なまにえの鬼の都や渋さ知らズ』の製作準備中。
佐々木彩子
出演
1975年生まれ、東京都出身。2歳で自由にピアノを弾き唄う楽しさに目覚め、武蔵野の自然の中、音楽と本と映画に親しみながら育つ。95年、大駱駝艦舞踏手だった星野建一郎らと舞踏グループ『大豆鼓ファーム』を結成。初期は東京の路上でゲリラライブ、後に洞窟や森や川や田んぼなど野外に巨大な舞台を建築、毎年ひとつの作品を作り、公演を行った。
踊る人形作家の村上三月主宰『イヌイットイヌーク』で音楽担当。
96年から約8年間、「渋さ知らズ」で活動。バンド内の愛称はCHAN。大小編成の日々のライブ、天幕旅、フジロックフェスティバル、欧州ツアーなど、怒涛の日々を過ごす。『CHAN BAND』では国内、ドイツメールスジャズフェスティバル、ロシアでライブ。不破大輔、山本精一との3人ユニット『ザ・トリオdeフォークジャンボリー』ではフジロックフェスティバル苗場食堂でライブ。その他劇団風煉ダンス舞台『悪漢』『快速船』『アンデルセンの卵』、映画『ひかりのおと』(11年)『新しき民』(15年、共に山﨑樹一郎監督)で音楽担当、大人計画舞台『ニンゲン御破算』(18年)に楽曲提供。
不破大輔
出演
フリージャズのベース弾き。「渋さ知らズ」主宰。
「風煉ダンス」「翠羅臼」「呉一郎」「発見の会」「戌井昭人」などのアングラ芝居劇音楽作曲演奏。
「フェダイン」、「渋さ知らズ」、佐々木彩子『あおいとこ』『空』、南波トモコ『おっぱい』、玉井夕海『Mother Sun』などアルバム制作多数。最近はギター片手に歌うこともあります。
渋さ知らズオーケトラ
出演
1989年、アングラ創造集団“発見の会”の公演「リズム」の劇伴を依頼された不破大輔が、「客席が空席だらけでみっともないので、バンドマンをたくさん集めて埋めてほしい」との提案を受け、結成。そして吉祥寺曼荼羅にて初ライブ。ダンサーチームも帯同し、ジャズ、ロック、フォーク、歌謡曲など多彩な音楽性を備えたバンドに発展。93年4月1日に初音源を発表。舞台美術家も加わり、巨大なオブジェがステージに登場するようになる。94年以降“天幕渋さ”と呼ばれる全国テント公演を実施。そして98年から数年にわたりワールドツアーを開始、ヨーロッパを中心に各国を巡業。2001年にはフジロックフェスティバルに初出演、絶賛を浴びて常連となる。またライブアルバム『渋旗』を発表。2006年、ベストアルバム『渋全』をエイベックスから発売し、メジャーデビュー。現在もライブを軸に精力的に活動中。
メンバーとゲスト陣による濃密な証言と演奏で、
多様な角度からこの表現集団の無頼で狂騒的で情熱的な三十余年に渡る道行きが
浮き彫りにされてゆく見どころだらけの百二十九分だが、
不破さんが「我々が抱える暴力性をいかに超克するか」というニュアンスの言葉を
口にしたシーンが数日たっても胸に杭のように突き刺さったままだ。
もっと言えば「渋さの、アングラの暴力性」という言い回しだった。
表現者全員、避けては通れない重要な問いだが、
わざわざ自分の映画でこんな発言をする者は少ない。痺れた。
不破さんにとってこの伝説的なグループはあくまでも現在であり、
越えて行くべき課題を背負った明日への舟なのだ。
WE KNOW NOTHING, NEVER BE COOL.